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ひな祭りはいつから始まったのか?その由来は奈良時代の上巳の節句・曲水の宴が習合していますが、不思議なことに日本人なのに学校で習わないので分かりやすく紹介していきます。
ひな祭りいつから始まった?平安時代・源氏物語
ひな祭りとは簡単に意味を説明すると、女性の健康な成長を祈る年中行事の節句
で、ひな人形や桃の花などを飾り、ちらし寿司や雛あられなどの食事を楽しみます。
ひな祭りはいつから始まったのか?その由来を調べてみますと、ひな祭りの歴史は古く既に平安時代中期(794年~1185年)の京都で平安貴族の上品な遊びとして行われていたことが「源氏物語」須磨(すま)の巻などに光源氏が巳の日になると陰陽師にお祓いをさせて船に人形を乗せて海に流すと言う場面が書き記されています。
ひな祭りの由来と祝う理由!曲水の宴・上巳の節句
次にひな祭りの由来と祝う理由を見ていってみましょう!
ひな祭りは「農耕の開始の祝い」「上巳の節句」「曲水の宴」など厄払いや農耕の開始する際の祝いなどの行事が習合した行事です。(節供(本来)=節句とも言います。)
農耕の開始の祝う理由は作物が天候に恵まれてちゃんと収穫が出来るように農耕を開始する前に祝うのはイメージが付きますが、「上巳の節句(じょうしのせっく)」と「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」についてどんなことなのか?子供にもわかりやすく説明できる様に次の項目で紹介していきますので学んでいきましょう!
上巳の節句とは
まずは、上巳の節句(じょうしのせっく)について見ていってみましょう!
「上巳の節句」とは、3月の初めの「巳の日(みのひ)」を指していて中国(チャイナ)では、禊(みそぎ)をする日でした。
「巳の日」の日が3月3日に固定になったのは4世紀ごろで、晋の時代(265~420年)には曲水の宴が行われていました。
「巳の日」とは、金運・財運や芸術の神様である「弁財天」に縁がある日で、月に2~3回あります。
「禊(みそぎ)」とは、わかりやすく言うと、身を清める儀式です。
曲水の宴とは
次に曲水の宴について見ていってみましょう!
「曲水の宴」とは、川にの水辺に杯を浮かべて自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み上げて流した杯を取りお酒を飲む行事です。
日本でも奈良時代には3月3日に宮中で「曲水の宴」を行って厄払いを行っていました。
現在でも、城南宮や太宰府天満宮などで「曲水の宴」が行われております。
人形に息を吹きかけ厄を映して、水辺に人形を流して厄払いをしていました。
江戸時代以降には人形が流すのではなく、飾る様になりました。
明治以降になると、ひな人形を飾る風習が浸透しました。背景には三越などの百貨店がひな人形を取り扱い始めたのが普及したとされています。
ひな祭りはいつ?時期が異なる理由と由来
ひな祭りは江戸時代までは和暦の3月3日に祝われていました。和暦の3月3日は現在のグレゴリオ暦で言うと4月頃になります。※日本は明治からグレゴリオ暦(新暦)になってしまいました。
グレゴリオ暦になった日本でも
ひな祭りは3月3日に執り行われています。
しかし、一部の地域ではグレゴリオ暦(新暦)で言う4月3日にひな祭りを行う地域もあります。
4月3日に祝う由来は和暦の3月3日はグレゴリオ暦(新暦)で言うと4月ごろに当たるので、ひな祭りを和暦の時期に合わせて、4月3日に祝われています。
ひな祭りは、
現在のグレゴリオ暦(新暦)3月3日に祝うのが一般的に現在ではなっています。
伝統を大事にする一部の地域では和暦に近い4月3日に祝われています。
以上、「ひな祭りいつから始まった?由来は上巳の節句・曲水の宴!平安時代」でした。最後までお読みいただきありがとうございました。