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海の日とはいつ?と疑問に思いませんか?子ども向けに由来を簡単に説明するために海の日の由来が書いてある色々な本を読み比べて調べてみましたので紹介していきます。
海の日とは?由来をなぜ日本の子供や大人が知らないのか?
海の日とは「海の恩恵に感謝をして、海洋大国日本の繁栄を願う日」と言うのが海の日を祝日とする意味ですが、あまりピンと来ていない人は勉強した方が良いです。
と言う私も知らなかったですが調べてみると凄いことが分かりましたので、子供でも分かりやすいくらいにまとめてみましたので、是非学んでいきましょう!
海の日をなぜ祝うのか?と言う疑問があるかと思いますが、学校で本来教えるべきなのですが、敗戦の関係もあり本来日本人や生まれてくる子供たちが知るべき知識を敗戦から歳月が経っても権力を持っている反日勢力(チャイナ、韓国、北朝鮮、アメリカなど寄りの議員や官僚など公務員)の方々によって未だに学校ではまだまだ教えられなくなっています。
日本は海に囲まれた世界第4位の海洋大国です!
「「国民の祝日」の由来がわかる小事典 PHP研究所所功 / PHP新書【中古】afb」では
日本は自然養殖、人口養殖合わせて質量ともに世界一位の国と称されています。
余談:ちなみに「国民の祝日の由来がわかる小事典」は、色々な本などを読み比べていると明らかに西暦表記が100年単位(例×1975年〇1875年)で間違えていたりしていますので、読む際は読みやすいですが多少ご注意を。
知識不足の人は日本を小さな島国と言いますが、国とは国土や領空はもちろんですが、重要なのは排他的経済水域と領海、海の深さの面積を足したものです。
国土の面積で言えば38平方キロメートルなので、世界61位ですが、
排他的経済水域と領海を足すと世界第6位
さらに海の深さを足すと世界第4位!
海には水産資源、海底資源、海洋資源など多くの資源があり、近年ではメタンハイドレートなどの資源が見つかり注目を集めています。
イラクの油田相当の天然資源が、東シナ海には1000億バレルもの原油埋増量があるとされています。
もしメタンハイドレートなどの天然資源が戦前に発見されていて実用化出来ていたら戦争にならず原発も落とされずに済んでいた可能性は非常に高いです。
日本に天然資源があると言う事や実用化出来る世紀の大発見にも拘らず日本国民が知らない理由は、テレビや嘘の新聞などの中立を気取った反日オールドメディアやチャイナと日本の売国議員などの権力者が繋がっている可能性が非常に高くあります。(反日的な放送や報道などをする事によって新聞が売れると言うのもあります。)
尖閣諸島は日本の領土で領土問題などは一切ありませんが、チャイナ(中国)が尖閣諸島を自らの領土と主張し始めたのは、天然資源が重要だと気付いて尖閣諸島付近に天然資源があると知ったからと言うのもあります。
世界で漁業生産量第1位はチャイナ(中国)と言われていますが、これは違法操業によっての結果ですので、共産主義ならではの安定の違法国家の結果です。(中国漁船サンゴ密漁問題以外にも日本の海に天然資源がないか違法に調査されていたりする可能性もあります。)
テレビや新聞などの偏ったオールドメディアや民主党、(名前コロコロ変える立憲民主党なども同じ)などは、尖閣諸島や竹島、北方領土なんて価値なんてないんだからチャイナや韓国、ロシアなどと揉めるくらいならあげてしまえば良いと言う考えを浸透させようとしていますが、海の領土が狭くなると言う事は漁業に悪影響を及ぼすだけでなく、天然資源を自ら手放すと言う事になります。
海の日とはいつ?なぜ第三月曜日になったのか?7月は海の月間
海の日とは、いつ?と言う疑問について紹介していきます。
海の日は、現在では7月の第3月曜日に制定されています。
海洋大国の日本では、もともとは、7月20日でした。
海の日の祝日がなぜ7月の第三月曜になったのか?を調べてみますと、
海の日の祝日が移動するようになったのは、ハッピーマンデー制度が原因でした。
ハッピーマンデー制度は祝日をその日に祝うのではなく月曜にして3連休になりやすいようにした制度ですが、日本人が知るべき祝日の意味や重要性が損なわれてしまう可能性があると言う事で、7月1日~7月31日までを「海の月間」としています。
海の日の由来!明治丸が横浜港に7月20日着!海の記念日と戊辰戦争
海の日の由来は戦前より古く戊辰戦争の終わりまで遡ります。
日本は開国以前、船は木造船でしたが開国以降、鋼鉄で作られた洋式の大型鋼船が輸入されるようになっていきました。
この様な流れから、日本は明治の初めに洋式の灯台設置の増加していることからイギリスに船を発注しました。明治8年(1875年)には、イギリス製の新型の汽船(全長73メートル1000トン)初めて横浜港にやってきました。
この横浜港に到着したイギリス製の汽船を「明治丸」と名付けました。
明治9年6月初めから、明治天皇が陸路で東北地方へ巡幸(じゅんこう意味※天皇が外出の際2か所以上見回ること)された際、明治丸で青森から函館に寄り五稜郭を訪ねて、アイヌ民族の方々と会われ、海路で還幸(かんこう意味※天皇が出先から帰ること)されることになりました。
明治丸で還幸の途中に時化(しけ)が襲い多くの船員は船酔いしていましたが、明治天皇は落ち着いた様子でおられ、7月20日の夜に横浜港に無事に着きました。
当時、汽船不安感がありましたが、明治天皇が汽船を利用して還幸されたことが広まり一般国民にも安全性が浸透し船旅をする人が急増ました。
また戊辰戦争が終わり函館戦争や東北戦争で函館や東北地方の国民の心がバラバラになっていた時期でもあり明治天皇の巡幸されたことにより日本国民が一丸となったと見られています。
この様なことから明治9年(1876年)明治天皇が明治丸で横浜港に着いた7月20日を「海の記念日」と定められることになり、平成7年には「海の日」として制定されることになりました。
以上、「海の日とはいつ?子ども向けに由来を説明を簡単にするために!」でした。是非参考にしてみてください。