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なまはげ祭りの歴史となまはげ祭りで有名な秋田県男鹿市の柴灯まつりについて紹介していきます。
なまはげ祭りの歴史
「泣く子はいね~が~」「悪い子はいね~が~」「怠けもんはいね~が~」と言うセリフで知られる「なまはげ」ですが、ナマハゲ祭りの歴史はいつから始まったのか紹介していきます。
昭和39年(1964年)から秋田県男鹿市北浦(あきたけんおがしきたうら)の真山(しんざん)神社で、神事の「柴灯祭(さいとうさい)」と民俗行事の「なまはげ」を組み合わせて「なまはげ柴灯(せど)まつり」が毎年2月の第2金曜・土曜・日曜の3日間、行われるようになりました。
昭和53年には「男鹿のナマハゲ」の祭りは重要無形民俗文化財に指定されました。
ご利益・効果
・災禍祓い
・悪事を戒め
・祝福を与える
・豊漁
・吉事
・無病息災(なまはげの落とした藁(わら)を頭に巻く)
・開運招福
なまはげってどういう意味?
ナマハゲの語源の由来は、寒い東北地方で火にあたって火斑が出来るほど温まってばかりいる怠け者を戒める為、火斑を剥ぎとることから「火斑剥ぎ」と言われるようになり、「火斑剥ぎ(ナモミハギ)」が訛った(なまった)と言われています。
火斑とは、人が火に長時間あたっていると皮膚に出来る火傷の跡の様な赤いまだらのことです。
なまはげの1000段・999段の伝説・言伝え
日本の男鹿に漢(中国)の武帝が渡ってきた際に蝙蝠に変身した5匹の鬼(・押領(おうりょう)・首人(くびと)・眼光(がんこう)・逆頬(さかうら)・眉間(みけん))を連れてきました。
正月15日の1日だけ、鬼を自由にして放った際に初めて人間の住む村へ行き娘を襲ったり、農作物を略奪するなど村を荒らしまわりました。
村人は困り果てて、武帝の鬼たちに「海辺から五社堂まで一晩で1000段の石段を積み上げれば若い娘を差し出すが、出来なければ村から出て行ってほしい」と言う賭けの取引を持ちかけました。
鬼たちは作業が早く999段まで積み上げたところで、賭けに負けそうだった村人が夜明けの合図である鶏の真似をすることで鬼たちは賭けに負けたと思い二度と村には来なくなったと言うことです。
この事からナマハゲのカッコをして、怠けている若い嫁や悪い子供は「恐ろしい鬼に差し出すぞ!」と戒める風習・伝統に変化して行きました。
なまはげ柴灯(せど)まつりに旅行に行こう
さて、なまはげの歴史を知ったら秋田県男鹿市に旅行に行きたくなりますよね!と言う事で、なまはげ柴灯(せど)まつりの行事内容について紹介していきます。
秋田県男鹿市で毎年2月の第2の金・土・日曜日に開催されます。
時間:18:00~20:30
行事の内容
・鎮釜祭・湯の舞
・なまはげ入魂
・なまはげ行事再現
・なまはげ踊り
・なまはげ太鼓
・なまはげ下山・献餅(けんぺい)
・里のなまはげ乱入
・護摩餅配り・記念撮影会
鎮釜祭・湯の舞
18:00頃から広場入口
大きな釜にお湯を沸かして呪文を唱えながら
わらボウキでかき回す行事です。
湯の舞の神事には海の荒れを鎮める意味があります。
なまはげ入魂
18:20頃から参道入口
神の宿ったナマハゲの面を手渡され若者がナマハゲになる行事です。
なまはげ行事再現
18:30頃から神楽殿
体感できるお芝居でワクワクと楽しめます。
なまはげ踊り
18:50頃から柴灯火前
昭和36年に秋田出身の現代舞踏家・故石井漠氏が振り付けをし息子の作曲家・石井歓氏が曲をつけたなまはげ踊りです。
なまはげ太鼓
19:00頃から神楽殿
なまはげ下山・献餅(けんぺい)
19:25から広場・参道
大盛り上がりの見所
里のなまはげ乱入り・護摩餅配布・記念撮影会
20:00から神楽殿・広場・神楽殿前
災難除去の御利益がある護摩餅(ゴマもち)を配ります。
以上、「なまはげ祭りの歴史を知って旅行に行こう!」でした。なまはげ祭りに旅行に厄払いをして良い年をお過ごしください!